12/27(土)、大阪ゲームダンジョンにて試遊していただいた参加者の皆さま、近くで出展していた出展者の皆さま。遊んでいただき、見ていただき、ありがとうございました。また、このような素晴らしい場を用意してくださった運営の皆さまにも心より感謝申し上げます。


とても楽しい時間を過ごすことができました。
そして、当チームの出展したmemOrieditですが、開発に大きな遅れが生じているため、不完全な状態での展示となってしまったたことをお詫び申し上げます。また、しばらくなんのご報告もできておらず、重ね重ね申し訳ございません。
当初は今回のイベントを発売予定としておりましたが、実情はシナリオ1つも仕上がっていないという状況です。もちろん他が完全な白紙というわけではありませんが、演出面という基盤を怠ったことにより仕上げたところで公開できません。この現状は私を含め、メンバーの怠慢が招いた結果であることは覆しようがありません。夏に九州で楽しみだと言ってくださった方、改善点を挙げてくださった方、秋に名古屋でわかりにくいと言ってくださった方、そして今回大阪で知ってくださった方。少しでもmemOrieditに期待してくださった方々へ、改めて、重ねてお詫び申し上げます。
結果として発売日も遅れることとなりますが、必ず完成させます。既に信用は無いに等しいものですが、欠片でもご期待いただければと思います。
蛇足ではありますが、退路を塞ぐ意味も兼ねて、改めて私キンギョの想いを綴ります。語れば語るほど、作りたくなるものと信じて。
このゲームは元々unity1weakに出すための小さなものでした。「おもいで」がお題と聞き、記憶を弄ぶヒトと悩むヒトの話を思いつきます。下手に弄ればココロが壊れ、生きてきた意味を失うでしょう。反面、上手く扱えば嫌なコトから逃れて気持ちのいい人生を歩むこともできます。記憶とは人生とイコールであり、それを弄るのはまさしく神の所業と言えます。ここまでが上記のコンテスト時に考えていた設定でした。
では今はというと、主人公、そしてその隣人に目を向けるようになりました。記憶を扱うコトが神の所業であれば、扱うヒトの精神はどうなるのか。記憶を操るコトに対して隣人は何を思うのか。この力はトラウマを抱えたヒトの記憶を消すことで救いを与えることも出来れば、都合の悪い記憶を消して意のままに操ることも出来る恐ろしい力です。救済か、洗脳か。扱うヒトがどう思っても、端から見れば同じものであり、そこに秩序は見えません。言ってしまえば、自分が今考えていることさえ信頼できなくなるといったように思考の前提を崩されてしまうのです。
主人公は何を思って力を使うのか、隣人はその恐怖にどう結論付けるのか。力の持つ魅力と恐怖、その二つの視点は物語を加速させます。ただのお悩み相談所から、人の生死を決める処刑場に。救済を与える天使から、我欲を抑えぬ悪魔に。登場人物たちがそれぞれの思いを胸に行動し、それぞれが望む未来を描こうとする姿を描いている時ほど楽しいことはありません。
書き進めていく中、私は「当初の予定より展開が大きくなったな」という気持ちと「大きくなったとはいえ狭い世界の話にしよう」という思いがありました。主人公が何を思っても、所詮は一人の人間です。メサイア、テロリスト、どちらに傾こうと出来ることはたかが知れています。結局のところこれは「力を持った人間と周囲の人間の話」であり、それ以上ではないのですから。規模の大小は信念の大小に非ず、しかして信念あれども力なくしては何も得ず。自分にできることと、していいこと、してはいけないこと。倫理道徳社会通念と自己に折り合いをつけ、何を選ぶか。その結末を、私は描きたいと考えます。
ゲームの形にしなければよかった、文章だけで世界を作ればよかったと後悔する日もありますが、いざ絵が音が付けばワクワクするのも確か。どんな表情がいいだろう、どんな動きがいいだろう。どうすれば雰囲気が出るか、どうすれば好きになってくれるか。これほど遅れておきながら今更ではありますが、やはり誰かに読んで、遊んで、触れてほしいと思ってしまいます。であるならば、このゲームは完成させなければいけません。
今日までどうしようもない日々を過ごしていた私ですが、再び熱が生まれた今度こそ。
誰かの心を動かせる、ゲームを作らせてください。